講演をした企業・団体 | 朝日カルチャーセンター(東京)・NHK(東京)日本生命(東京)・安田生命(東京)・中部電力(愛知)・ロータリークラブ(埼玉・栃木)倫理法人会(山形)・喜連川商工会(栃木)・足利友の会(栃木)APECA(タイ国)他 |
講演した医療機関 | 国立第二病院(東京)・心身診断基準研究会(東京)・大泉病院(東京)第一製薬(東京)・住友薬品(東京)・栃木県精神衛生センター(栃木)県立岡本台病院(栃木)・栃木県カウンセリング協会(栃木)他 |
講演した教育機関 | 東北大学(宮城)・青山学院大学(東京)・法政大学(東京)・大正大学(東京)・立教大学(東京)・上智大学(東京)・日本橋女学館(東京)・日本内観学会・日本産業カウンセリング学会・他 |
講演した県内教育機関 | 栃木県教育研修センター・栃木県精神衛生センター・喜連川教育会・喜連川中学校PTA・喜連川小学校・喜連川少年院・塩谷地区教育会・塩谷地区中学教頭会・下都賀地区教育会・大田原市学校警察連絡会・矢板市校長会・小山市役所少年補導センター・芳賀地区広域行政センター内芳賀教育研究所・芳賀町児童生徒指導研究会・上三川町役場環境衛生課・県立宇都宮高校・氏家小学校学級経営部会・氏家中学PTA婦人講座・黒磯市日新中学校PTA・那須町立黒田原中学校PTA・矢板市立泉中学校・鹿沼市立北中学校・塩谷町立大宮中学校・高根沢町立阿久津中学校・西那須野町立西那須野中学校・塩谷町立船生小学校・他 |
職員・社員研修 | 矯正研修所・栃木刑務所・市原交通刑務所・喜連川刑務所・喜連川少年院・青森少年院・東北少年院・赤城少年院・八街少年院・水府学院・多摩少年院・久里浜少年院・新潟少年学院等・各矯正施設職員研修・スポルス(宮城)・タカボシ(東京)・関口運輸(東京)・ホテル東横イン(東京)・関東キタック販売(東京)・くらしの友社(東京)・ライフ薬品(千葉)・ヒューマンバリュー(神奈川)・小島歯科医院(神奈川)・済生会関東ブロック中堅看護師研修会・三和中央病院(長崎)他 |
研修した主な教育機関 | 文教大学人間科学部臨床心理学科・法政大学大学院人間社会研究科・青山学院大学学生相談センター・大正大学カウンセリング研究所、日本女子大学社会福祉学科・目白大学心理カウンセリング学科・足立区教育研究所・白根開善学校・埼玉県長期研修教員生徒指導・他 |
研修した県内教育機関 | 栃木県総合教育センター内地留学・栃木県社会福祉教育センター・栃木県市町村教育委員会指導主事連絡会・栃木県教育委員会事務局上都賀教育事務所・栃木県婦人相談所・国保芳賀郡市支部主管課長及び保健婦合同研修会・栃木県看護協会県東地区支部研修会・栃木県県北児童相談所・塩谷教育事務所・下都賀地区学校保険会養護部会・大田原市教育会養護部・真岡市思春期学級・石橋町特殊学級設置校長会・西那須野町保健部会・栃木県立小山北桜高等学校、文星芸術大学附属高等学校、黒磯市立東那須野中学校、ピア・カウンセラー養成講座・他 |
論文・研究協力 | 東京大学・京都大学・大阪大学・東京学芸大学・学習院大学・大正大学・青山学院大学・立教大学・法政大学・文教大学・東京理科大学・東京国際大学・明星大学・武庫川女子大学・日本赤十字九州国際看護大学・他 |
クライアント(研修生)紹介機関 | 東北大学医学部(宮城)・山形大学医学部(山形)・千葉大学医学部附属病院(千葉)・東京大学医学部附属病院(東京)・東京医科歯科大学附属病院(東京)・東京理科大学(東京)・学習院大学(東京)・大正大学カウンセリング研究所(東京)・信州大学医学部附属病院(長野)・鳥取大学医学部(鳥取)・獨協医科大学病院(栃木)・慶應義塾大学病院神経科(東京)・東京慈恵会医科大学病院(東京)・東北労災病院(宮城)・国立栃木病院(栃木)・県立岡本台病院(栃木)・栃木県婦人相談所(栃木)・国立小諸高原病院(長野)・国立武蔵療養所(東京)・県立せりがや園(神奈川)・川崎市立川崎病院(神奈川)・横浜労災病院(神奈川)・静岡赤十字病院(静岡)・緑ヶ丘病院(宮城)・岡本クリニック(宮城)・きくべえクリニック(宮城)・滝沢病院(栃木)烏山台病院(栃木)・亀田総合病院(千葉)・式場病院(千葉)・神谷クリニック(埼玉)・東京神経科クリニック(東京)・東京武蔵野病院(東京)・大泉病院(東京)・丘の上病院(東京)・桜ヶ丘保養所(東京)・竹内病院(東京)・梅田病院(東京)・浜田クリニック(東京)・田辺神経クリニック(東京)・ハナクリニック(東京)・赤羽田中クリニック(東京)・クリニックおぐら(東京)・なち相談室(東京)・西横浜国際総合病院(神奈川)・湘南病院(神奈川)・横浜舞岡病院(神奈川)・湘南台メンタルクリニック(神奈川)・ホームカミング(神奈川)・城西病院(長野)・森心身医学クリニック(三重)・京都南病院(京都)・野田クリニック(宮崎)他 |
発足は、昭和60年11月 会員数は、平成20年3月現在222名です。
現在、事務局活動停止にともない、新規入会・会員更新を受け付けておりません
入退会について | 入会期間は、会費を入金された月から1年間とします。 入退会は、ご自由に何時でもしていただけます。 会員期間終了前に退会ご希望の場合は、事務局にご連絡ください。 |
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会費について | 入会金は無料です。 会費は、月あたり300円、入会時にまとめて1年分3,600円をご入金ください。 |
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主な活動として |
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所在 | 喜びの会事務局 清水志津子 〒326-0843 栃木県足利市五十部町599-1 TEL 0284-21-7739 |
▼ 会合の様子です(写真をCLICKすると拡大されます)
内観体験者の体験発表 | 参加者みなさんでのラウンドテーブルディスカッョン | ソフトバンクホークス小久保選手、倉野投手、瞑想の森清水所長の対談 |
大正大学村瀬嘉代子教授の講演 | 法政大学長山恵一教授の講演 | 脳力開発研究所志賀一雅所長の講演 |
新年会パーティーの様子 | 新年会での平尾雅子さんによるヴィオラダガンバ演奏 |
▼ 日本内観学会
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▼ 日本内観医学会
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▼ 国際内観学会
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▼ 自己発見の会
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▼ 全国の内観研修所 研修所によって違いがありますので、詳しい内容については実際にお問い合せ下さい。
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▼ 世界各地の内観研修所
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村瀬 嘉代子(大正大学大学院教授・日本臨床心理士会会長) 今は亡き柳田鶴声先生が「瞑想の森内観研修所」を創立されてから、はや二十五年が経ち、今日に到るまで研修所が確かな足跡を残して、多くの人々に生きる上での貴重な契機を提供してこられたことに、こころからの敬意と祝意を表したい、と存じます。今日見る瞑想の森の内観研修所としての見事なありかたは、もちろん歴代の所長や内観面接者として、直接、内観者の方々に面接されてきた方々のお力とご努力によるところが大きいことは改めて申すまでもありませんが、私は瞑想の森では表舞台に現れることの殆どない方々のお働きが格別の意味を持っている、と伺う度に感じ入って参りました。こういう内観場面や内観面接を支える方々の存在を本当に有り難いことだと思って参りました。さりげない見事なコラボレーションが瞑想の森にはあります。今後の瞑想の森のご発展をこころからお祈り申し上げます。 |
廣田 尚久(法政大学法科大学院教授・弁護士・著述業) 私が内観をするために「瞑想の森内観研修所」を初めて訪ねたのは、一九九八年十一月のことでした。柳田鶴声先生から年齢を問われて、「六十歳です」と答えると、「内観は六十歳までに始めるのがいい。六十歳を過ぎるとちょっと難しくなるようです。あなたは運がいい」と言われました。以来、二〇〇二年九月まで、五回、瞑想の森内観研修所で内観をいたしました。瞑想の森で先生にお会いしたのは、多分一九九九年八月の私が最後の方だと思います。それを思えば、先生にお会いしたその小一時間は、この上もなく貴重な時間だったと思います。したがって、何かの折には、私は、その貴重な時間に立ち戻り、柳田先生の表情や口調を思い出し、力を汲み取ることにしています。 |
庄司 康生(埼玉大学教育学部教授) 人生の中でいろいろな場所に行きましたが、これ程、鮮明に覚えている場所はあまりないと思います。どこにもあり、常に自分の中にあり、どこにいてもともにある場所、日常の中で埋もれているときもあり、でも思い出さなくてはならない場所、それが私にとっての瞑想の森だと思います。柳田先生、清水先生、ほか先生方、ご指導し支えてくださった方々、お世話下さったみなさまのお心に深く感謝します。内観なさるみなさまに、応援のエールを送りたいと思います。 |
長山 恵一(法政大学大学院教授・精神科医) 少しずつ内観とのかかわりが強くなり、瞑想の森にお邪魔する回数が重なるうちに、瞑想の森や内観が持つ人と人との出会いやネットワークの豊かさ・不思議さに驚かされました。心に悩みを抱えた人ばかりではなく、会社の経営者やスポーツ選手、文化人、宗教家、芸術家などなどの様々な人々が内観にやってくるのもまた驚きでした。内観面接のお手伝いをさせていただくようになってからは、瞑想の森の多面性にも一層強く惹き付けられています。 |
伊藤 研一(学習院大学心理学科教授) 瞑想の森との具体的なかかわりもたくさんある。自分自身の集中内観経験、その後、研究者として集中内観のプロセスと効果を研究させていただいたこと、夏の特別研修会で面接のお手伝いをさせていただいたこと、そういった中で内観について話し合ったり、そのときいらっしゃっていた内観者のことを心配したりして、貴重な経験をともにさせていただいた柳田先生や現所長の清水康弘さん、奥様、お母さんの清水志津子さん、ご主人の貞一さん、他のスタッフの皆さん、かけがえのない経験であった。 |
小林 孝雄(文教大学人間科学部准教授) 所属先の大学の授業の一環として、学生たちに集中内観を体験する機会を、瞑想の森内観研修所にお願いしている。担当教員になったので、一度体験しておきたい、と思い、数年前、座らせていただいた。実習させていただいた学生から、毎年、貴重な体験を聞くことができる。私自身は、その後は座っていないのだけれども。現在の所属先に勤務することになり、また内観の実習を担当させていただくことになったことも、多くの方たちのお陰があってのこと。様々な人たちとのご縁を、あらためて感じる次第である。 |
永井 伸一(獨協中学・高等学校校長) 「最初はお母さんとの関係を調べていただきます。すなわち、母にしてもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと、特に迷惑をかけたことに対して多くの時間をかけます。小学校の時遠足でお弁当を作ってくださった。おにぎり二個、その中身はおかかとシャケ、惣菜としてウインナーとおしんこ、水筒にはほうじ茶が入っていました、このような詳しいことまで調べるのです」という柳田所長さんの声が今でも聞こえてくるようである。近年多くの指導者が参加され、研修所も基本は同じでも年々新しい展開があると思う。現在中学・高校生には内観を必要とする生徒が多数存在する。これから清水所長を中心、多くのサポートの人たちと共に、瞑想の森が現代社会の悩み多き人たちの救いの場として発展されることをお祈りしています。 |
佐藤 太郎(TARO Ventures 代表、元経済産業省企画官) このような貴重な施設が長く存在し、たくさんの人生の再生に貢献していることは、本当にすばらしいことだと思います。献身的に維持・運営されてきた柳田先生、清水先生はじめ多くの方々に心より敬意を表します。今、内観を思うとき、変な表現かもしれませんが、その奥深さに畏敬の念に似たような感じがします。これは人間そのものの奥深さなのかもしれないとも思います。一人ひとりに人生の気付きを与えてくれる内観に、また、そのための理想的な環境を提供してくれる瞑想の森に、あらためて感謝したい気持ちで一杯です。清水所長ほか皆様、これからもよろしくお願いいたします。 |
吉村 幸司(法務省大臣官房司法法制部) はじめて私が刑務所で内観を実施した時、瞑想の森の初代所長である柳田先生や清水志津子先生にいろいろと御指導を仰ぎました。また、初めて転勤した日本一巨大な刑務所では、内観がとても受け入れられない現実にぶつかりました。そして、他にもいろいろなことが重なって自己のアイデンティティーさえ失いかけていたとき、現所長の清水康弘先生と奥様が主催されていた上智大学での『四谷内観サロン』に通うことは、私にとってある種心の拠り所でした。その他にも、少年院に勤務した時、少年の内観を進める上で御指導いただいたことなどがあります。吉本先生、柳田先生、現所長と内観の意味が受け継がれ、これまでの蓄積を未来につないでいる瞑想の森の存在がいかに大きいかということが分かります。 |
大嶋 健(喜連川少年院上席専門官) 当院での処遇に内観を取り入れようとする話が持ち上がり、職員が順番で内観の研修へ行くことになりました。少年院に戻ってから、内観の責任者となり、少年の内観指導を行うことになりました。少年の内観に取り組む姿勢は真剣そのものであり、柳田先生も何度か足を運んでくださり、直接少年に面接も行っていただきました。その度に大変感心しておられました。少年と接することにより、私も次第に内観が深まっていったように思います。この内観との出合いが、少年の指導に大きく影響したことは間違いありません。この出合いを今後とも大切にさせていただきたいと、常々考えているところです。 |
岩岡 正(家事調停委員) 喜連川というあの小さな町に内観研修所が開設されたと知った時、場所はどこなのだろう、「瞑想の森」と洒落た名が付けられたことなど興味を感じたものでした。それというのも、その前年(昭和五十五年三月)迄、喜連川にある少年院に四年間勤務して、町の様子はよく知っていたからです。喜連川の町に温泉が湧いたという話題が広がったのも、丁度この頃だったように思います。その後仙台に転勤となり、勤務先の東北少年院でも内観指導を再開することになりました。若手職員から面接担当者を養成することになり、瞑想の森で集中内観を体験させていただくことになりました。(柳田先生は既に亡くなられていました)清水先生には大変お世話になりました。お陰様で東北少年院でも四人の面接担当職員が揃って、内観指導を再開することが出来ました。今後瞑想の森内観研修所が、三十年、五十年と充実発展しますようご祈念いたします。 |
小久保 裕紀(プロ野球選手) 私は、ここ瞑想の森内観研修所で一週間の集中内観を二度ほどさせていただいております。一回目は2002年12月、二回目は2006年12月に座らさせていただきました。一回目と二回目では動機も目的も全く違いましたが、この場所の「歴史の重み」という点は何も変わらない両方に共通するところでありました。屏風を立て座ろうとしますと、はげた壁が目に飛び込んでまいります。いったい過去に何百人いや何千人の方々がこの場所に座られたのであろうか、またどれだけ多くの方々がこの場所でもがき、苦しみ、懺悔したのだろかと考えさせられました。自身も過去にこれだけ多くの方々が座られた場所で「歴史の重み」を感じながら内観させていただいた一人でありますが、これからも永遠に続くであろうこの瞑想の森内観研修所の「歴史の重み」に加えさせていただければ幸いです。 |
加藤 仁(プロゴルファー) たったの数日で私の未来が輝き始め、過去までもが素晴らしい思い出に満ちた体験へと変わってゆきました。私が瞑想の森内観研修所で過ごした一週間は、まさに天からの贈り物です。近年、生きる意味を見出せず自暴自棄になり、人や自分・社会に対して破壊的な行動に出てしまっている人が増えてきました。自分の中に注がれている愛に気づき、感じることが出来れば、誰もが怖れや不安から解放され、何ものも傷つけるような必要が無くるのではないでしょうか。今までの全ての出合い、もちろん瞑想の森との出合いに、感謝の気持ちで一杯です。 |
神渡 良平(作家) 私たちが宇宙を貫く真理や人生をわたる知恵に目覚めていれば、何があったとしても動転することなく淡々と処して、荒波を超えていけるのですが、渦中にあるときはどうしても自分を見失ってしまい、悩んだり、悲しんだりしてしまいます。しかし、それを超えてみると、あれはどういうことだったのかと、冷静に振り返ることができるようになり、そういう人生の荒波の中でさえ神の導きがあっていたことに気づき、感謝でならなくなるものです。私は脳梗塞で倒れ、人生を悲観していた時期を過ぎ、十年ほど前、瞑想の森内観研修所で内観をしてみて、初めてそのことに気づきました。おそらく内観をしていなかっら、生きるために一生懸命で、人生の意味を問うこともなく、ただただ忙しさに追いまくられていただろうと思います。内観は失われた自分を取り戻す方法です。大いに活用して、たった一回しかない自分の人生の主人公になってください。 |
ひぐち アサ(漫画家) 私が瞑想の森に始めて訪れたのは大学生の時でした。卒論を体験談で書けたら楽だろうという、非常に安易な動機で内観し、劇的な心の動きにとっても驚いたのがもう十年前です。あの頃、康弘先生と淑江さんは、研修所に来て確かまだ一年目でしたかね?齢も近かったのでなんだか友達のようになってしまい、そのあとちょっと座りにくいのはこまりものでしたが、おかげでゴールデンウイーク中の手伝い等に何度か通わせてもらい、いろいろな方とお会いして、ずいぶん世界が広がりました。康弘先生、淑江さん、瞑想の森の方々、柳田先生の「内観」を形を変えずに、何十周年まででも残してくださいね。 |
塚崎 稔(三和中央病院院長) 初めて瞑想の森を訪れたのですが、ここの壮大な自然と内観の場の雰囲気に圧倒された覚えがあります。その時いつかここで内観をしてみたいと思いました。その後、長崎に帰りまして清水所長からたくさんの内観テープをお送り頂きまして、年末から正月にかけて柳田先生の講演テープなどを聴いておりました。そのお話の内容が大変感動的で衝撃を受けまして、ますますここで内観をしたいと考えるようになりました。平成16年4月29日より5月5日の一週間、瞑想の森内観研修所で集中内観をさせていただきました。屏風の中にすわっていると、しばらくして清水所長が深々と礼拝され、「ただいまの時間は...」と面接が開始されました。その姿勢は内観者を徹底して尊重するという態度であって、私は安心感と心地よい気持ちで満たされていました。また、毎回頂く食事がとても美味しくて感激する毎日でした。一週間の内観研修が終わり、研修所を後にする時に、食事に出されていた作物ひとつひとつが瞑想の森の自然の中で丹念に手作りされたことを見せていただき、あらためて感謝の念が湧いてきました。 |
岡本 康太郎(古川駅前岡本クリニック院長) 『人は他人に善を求めて苦しみ、人は己の悪を認めて安らぐ』瞑想の森内観研修所内で、柳田先生が記されたこの文章に出合ってからの私の考え方が、ちょっとは穏やかにもなり、日常生活においても少しは落ち着けるようにもなったような気がします。専門が神経精神科、心療内科ゆえストレス社会に関するこころの病気などについてお話しをさせていただく機会も多くなりました。内観をさせていただいたお陰で、多くのストレスは外観することによって生じるものであって、このストレス解消には内観がとても適していることをご説明することによって、受診者の方々も少しは納得できるようにもなっております。 また、クリニック待合室に、私なりに解釈した内観についての説明文書を配置しております。こころの病気に関する医師会先生方への講演会、一般市民の方々への講演会などの時に、「内観」についての一般的なご説明をさせていただくこともしばしばございます。「内観」との出合い、内観をさせていただいたお陰で、内観についてのお話しをさせていただけるようになって、大変有り難いことで感謝いたしております。 |
原田 憲明(臨床心理士) 今、私は大宮にあるメンタルクリニックとクリニックに併設された心理相談室で、ささやかながら心理臨床を行っておりますが、心理面接をしておりますと、しばしば“自分にとらわれたものの見かた・考えかた”から、親への恨みを手放せなくて苦しんでいるクライエントの方に出会うことがあります。そんなクライエントに、私自身が内観をさせていただいた瞑想の森を紹介させていただくことがあります。もちろん、縁があって内観をしてくださる方と、機が熟していなくて内観に結びつかない方と両方ありますが、していただいた方は、大抵、眉間からしわの取れた笑顔で次の面接にやってくることが多いです。瞑想の森での内観が一つの転機になって、少し時間はかかりましたが、親との長い間の不和を和解してくださった方もいます。自分の内観を振り返ってみるとき、瞑想の森内観研修所を取りまく自然や心のこもったお食事、喜太郎の音楽、柳田先生、志津子先生、清水先生、奥様のお姿などが、その時々の自分のつらかった思いと共に、懐かしく思い起こされます。瞑想の森内観研修所が三十年、四十年、五十年とこれからも続き、内観を伝え続けてくださることを心から願っています。 |
郡司 文雄(臨床心理士) いつの頃からか心の奥で抱き始めていた「いのち」という心象を再考しています。自分の、とか誰々のではなく、森羅万象すべての根源としてのいのちです。それを、母の死によって再度やはりそうだと確認している感じがしています。私もいつかそこへ帰っていくふるさととして。私が今こんなことを考えているのも、また母の死をそのままで受け入れつつあることが出来るのも、「内観」のお陰だと思っております。このことなくして、私の人生の何も語れません。母とのお別れの年に、瞑想の森が二十五周年を迎えたことのご縁を思わざるを得ません。 |
林 道雄(オーテック株式会社代表取締役) 瞑想の森のお仕事は人類へ素晴らしい貢献であると思います。しかし朝から晩までほとんど年中無休で内観者のお世話をするお仕事は、本当に大変だろうと思います。時々研修所のお仕事をお手伝いさせていただくたびに、清水所長ご夫妻は本当に人生を内観にささげていらっしゃるのだと感じ、ただただ頭の下がる思いです。他の内観研修所にうかがったことがないので、瞑想の森と比較するものを知りませんが、本当に素晴らしい研修所だと思います。これも清水所長ご夫妻をはじめとして皆様が努力を続けてこられた結果だと思います。今後ともますますご発展されることを祈念致しております。 |
志賀 一雅(脳力開発研究所所長・工学博士) 一週間の「内観」は、脳波という切り口で見ると人生の縮図のような気がします。始めの段階ではひたすら環境に順応するように働いてベータ波からアルファ波へ移行し、順応できると、今度は喜びと感謝、感動を探し出して、強いアルファ波で共鳴し、やがて生かされていることに気づいたとき、シータ波が強く出て、価値観や人生観、世界観が曼荼羅の如く浮かび上がってくる・・・、柳田先生の話を伺いながら、そんな思いを抱きました。今、清水康弘所長に柳田先生のご遺志をしっかりと受け継いで、瞑想の森を守っていただいて二十五周年を迎えました。私も及ばずながら夏の集中内観でお手伝いをさせていただきながら、「内観」を多くの方に体験していただくように伝えていきたいと考えています。 |